認知症 アルツハイマーの家族の問題

認知症は いまや誰がなってもおかしくない時代です。
高齢者の3人~4人に1人は認知症あるいは認知症の予備軍であるという数字が示さ
れているそうです。
認知症という病気は 初期の頃から家族を巻き込んで家庭の中の 葛藤や変化を余儀
なくし関わる人には エネルギーが必要です。
私の 母親は 父が脳出血で倒れそのまま3ヶ月の闘病で他界した後に アルツハイ
マーがわかりました。
その後 2年4ヶ月後 全く同じように脳出血で急逝した51歳の長男を天におくる
ことになり ふさぎこむことでアルツハイマーが進みました。
ショックで悲しみを忘れてしまうように 脳がそうさせたのかもと思いますが
今は 小規模グループホームで9人で生活をしています。
現状の出来る能力を維持させるような配慮があり 人と関わることで元気に暮してい
ます。
腰や足が痛むので 徘徊の心配はない母ですが 迷子の可能性は否めません。
酷い娘だという思いで苦しみましたが
認知症の様々な問題を考えますと 私も母親には グループホームで暮らす選択肢があ
りますがというお話があってもそれは出来ないと考えていました。
母が 可哀想だと思っていました。
本来の母親が調子の良いときに見せる 私を気遣い心配する姿に
認知症からくる記憶障害さえなければ自分らしい生活がまだまだ出来て
人生の先輩の智恵を持ち
戦争を経験している為か忍耐強い人で
この時代の喧騒を 憂いながら川柳にしたり日記を書き続け家計簿をつけ
生活してきた母の人生。
一生懸命働いてきた両親のおかげで 今の私がある訳で
自宅にいたいという母親を 他の方に全てお任せするなんて
酷い娘だという思いで苦しみました。
状況が酷くなり 自分の中でも仕事と母に関係する時間の配分の難しさ、
母と同居の妹の負担増で だんだん一人では寝ているだけの生活になり、
デイを嫌がり頭痛と腰の痛みで動けないと訴え 生きていたくないという鬱症状になり
甲府に1メートル20センチもの大雪が降った平成26年2月
1ヶ月間のショートステイをテスト利用させていただき やっと決心がついて
グループホームでの生活が26年3月に始まることになったのでした。
祖母と母との関わり
思えば祖母もアルツハイマーという病気で
母は(祖母は82歳ぐらいから95歳の亡くなるまで13年ほどを老人病院にいました)
山梨県の認知症について勉強する会 (認知症の人と家族の会)オリーブの会の活動を
丁度今の私と同じぐらいの頃、積極的に参加していました。
自分の出来ることを考え 知識や介護方法、関わり方を母も悩んでいたのだと思います。
祖母は 最終的に母のことも判らなくなり 丁寧語で『お世話になりますねー』と
『どちらさまですか』と聞いていましたが 今のところ私の母親は
私の面会には、『忙しいのに悪いねー、ところでエイコさんはどこに住んでいるの?』と聞いてくれます。
孫の名前も上から3人間違わずに言えますし 主人のこともわかるので本当に嬉しいことです。